昌老

人生万事大丈夫!

カテゴリ:歌のおにいさん > 言葉をつま弾く

 何度も書いているが、ぼくは20歳から22歳にかけて東京に住んでいた。その間、いろいろな出会いがあったものの、付き合うまでには到らなかった。高校時代に好きだった人の影を、ぼくはまだ追っていたのだ。

 東京に出て二ヵ月目のある夜、
「いったい彼女のどこが好きなんだろうか」
 と考えていた。
 同級生とはいえ、さほど会話を交わしたこともなかったから、相手の性格もよく知らない。決して美人でもなかった。
 卒業アルバムなどを見ながら色々考えていくうちに、ハタと気がついた。
「そうだ、これだ!」


ショートホープ・ブルース

ねえ、ちょっと目を閉じると
君の姿が見えてくるんだよ
ねえ、ちょっと君が笑ってくれると
ぼくはまた眠れなくなるよ

ねえ、寝付かれない日々だけど
いつもぼくはショートホープを
ねえ、いつか君にあげたいんだけど
君にはとってもわからないだろうね

 ねえ、だからさ わからない君に
 ブルースを歌ってあげるよ
 ねえ、優しすぎる君の頬に
 ショートホープ・ブルースを

ねえ、いつか君と暮らすんだよ
だからぼくはショートホープ・ブルース
ねえ、いつか君と暮らすんだよ
だからぼくはショートホープ・ブルース

 つかの間の夢に うつむいたぼくの心を
 静かになだめてくれる
 ねえ、だからそんな君の頬に
 ショートホープ・ブルースを

ねえ、いつか君と暮らすんだよ
だからぼくはショートホープ・ブルース
ねえ、いつか君と暮らすんだよ
だからぼくはショートホープ・ブルース

 → ♫ショートホープブルース


 面長で頬のこけていた高校時代のぼくには、丸顔の彼女のやや膨よかな頬が魅力的に映ったのだ。その頬に淡い望みを持ったわけだ。

 詞はその時に書いたもので、曲は他の歌詞に使っていたものを使った。
 この歌、えらく難しくて、長いこと歌いこなせずにいた。何とか人に聴かせられるようになるまで十年近くを要している。自作曲でそこまで時間のかかった歌はなかった。
 さらに難しかったのがギターだった。ピックが思っている弦に当たってくれないのだ。これは今でもそうで、なかなか思うようにいかない。

 昨日、『勘違い』という記事を書いていて思った。
「やっぱり好きというひと言を相手に伝えた方が良かったのではないか。そうすれば結果はどうであれ、その先に進めたはずだ」と。
 言わなかったから、いつまでも未練を引きずる結果になったのだ。
 今日紹介する歌を作った時も、そんなことを考えていた。

 夢のいたずら

「君を愛してる」と言いかけた時
いつも同じように終わる君の夢
言い出せなかった大きな悔いが
いつまでも残る
あの若い日は先へと進まない
いつもいつも途切れた映画のように
後味悪い夢のいたずら

朝の目覚めは夢を引きずって
力の入らない一日の始まり
あの頃君はぼくのことを
どう思ってたのか
知りたくなって想い出を訪ねる
いつもいつも過去に縛られていく
もう戻れないことも忘れて

 言い出せなかった大きな悔いが
 いつまでも残る
 あの若い日は先へと進まない
 いつもいつも途切れた映画のように
 後味悪い夢のいたずら

 → ♫夢のいたずら


 当時こんな夢をよく見ていました。あまりに頻繁に見るので、
「やっぱり告白したほうがよかったのかなあ」
 と思ったものです。

 歌詞を書いたのは30代前半。曲の方はポール・マッカートニーの『Magneto and Titanium Man』を若干意識して作りました。
 この録音は40代中頃。演奏はお聴きのとおりギター一本、親指と人差し指の2フィンガーでお手軽に弾いております。お手軽な分、リズムが取りにくかったです。

 48歳の時、ぼくの所属していた部署が閉鎖になった。ぼくは専門職で雇われていたため、つぶしが効かないと判断され、リストラの対象となり、そのまま会社を退職することになった。
 それからおよそ一年間、表向きには失業保険をもらいながら、ハローワーク通いをやっていたのだが、その裏では、充分に時間が取れるので、『こんなチャンスはない』と思って、エッセイを書いたり、詩を作ったり、歌を作ったりしていた。仕事のない不安や焦りなど一切なく、前向きだったのだ。
 その時に書いた詩やエッセイや作った曲を、投稿したりしていたのだが、結果的には何も得るものはなかった。とはいえ、じつに充実した一年だった。
 それからぼくは、今の仕事に移った。

 今日紹介するのは、前向きになる少し前、会社を辞めたばかりの時期に作った歌です。


『ためいき』

さりげないためいきやめて
今日から真面目にやっていくんだ
昨日吐いたあの言葉に
嘘や偽りはないんだから

そしていつか見返してやるんだ
あいつも、あいつも、みんなまとめて
あの日のぼくは正しかったんだと
それがぼくの人生だったと

 もう振り返らない 風は追い風だ
 尽きることはない
 もしもつまずくことがあったとしても
 明日のための布石なんだ

疲れたふりなんかやめて
今日から素直に生きていくんだ
ほら明日が笑っているよ
その日の自分が手招きしている

 もう振り返らない 風は追い風だ
 尽きることはない
 もしもつまずくことがあったとしても
 明日のための布石なんだ

さりげないためいきやめて
今日から真面目にやっていくんだ
昨日吐いたあの言葉に
嘘や偽りはないんだから


 → ♫ためいき

地味な歌です。辞めた時は、ぼくを自主退職させようとして色々な工作を仕掛けてきた会社に憤りを感じていたのですが、この詩を書いてから後は、「所詮その程度の会社だったんだ。辞めて正解だった」と思うようになり、気持も安定し、前向きになることが出来たのです。
 なお詩の中の「布石」だが、何も言葉が思い浮かばなかったので、『あしたのジョー』のセリフに出てくる言葉を使わせてもらった。

 ぼくの住む福岡県八幡の隣に、水巻という町がある。その昔は炭鉱町だったが、今は北九州のベッドタウンになっている。
 その水巻町に、『月夜待』という名の交差点がある。場所はJR東水巻駅(福北ゆたか線)の上にある。なんで上なのかというと、線路と道路が立体交差していて、道路が上を走っているためで、この交差点は駅の上を数メートル西に寄ったところにある。
つきよまち

 この交差点を知ったのは19歳の頃で、バイトでそこを通った時、運転している人に
「あれ、何と読むんですか?」と聞いたら、
「つきよまち」と教えてくれた。
 ロマンチックな名前だなと思い、その時からいつかこの『月夜待』をテーマにした歌を作りたいと思っていた。
 それが出来たのが25歳の時、そう何度も言うようだが、高校時代から好きだった人の結婚を聞いた時だった。本当ならこの名前の通りにロマンチックな歌にしたかったのだが、結局は失恋の歌になってしまった。

『つきよまち』

君に逢えれば こんなことだって
忘れられると 思ったものさ
笑い話に 君のことを
歌ったことも 昔のことさ

夢はいつも 美しいもので
しあわせそうな 二つの影を
映し出しては 消えていった
あこがれては 思い悩み

 つきよまちから 二つの道を
 選ぶいとまが 君との川で

流れては 遠くなる恋を
見つめては しあわせなんか
こんなおれに くるもんかと
つぶやきながら あおる酒よ

 つきよまちから 二つの道が
 出逢うところで 君を夢見た

いつか知らず 時は過ぎていった
君に逢えるのは 夢の中だけと
つきよまちに かすかに浮かぶ
月を見ては 君を想う

 → ♫つきよまち


 この曲が浮かんだのは会社帰りに、駅から自転車で家に向かっている途中だった。曲を忘れまいとして、そこからダッシュで帰ったのだった。
 家に帰ってから、さっそくラジカセに録音した。その後、すぐに詩に取り組んだのだが、五分で出来てしまった。しかも、この詩は作った時のままで、その後一切修正を加えてない。きっと自分の中で熟成していたのだろう。

 この歌を作った当初、ぼくは失恋のこともあって、この歌をまったく評価してなかった。ところが、友人が「つきよまちという歌、けっこういいね」と言いだした。そして仲間内でちょっと話題になった。それに気をよくしたぼくは、それから数年後に、この歌をレコード会社に売り込んだ。しかし、聴いてくれたのかどうかわからないまま、うやむやになってしまった。その後も、ことあるたびに、レコード会社や明太子屋に、この歌を売り込んでみたのだが、やはりダメだった。

 しかし、どうしてここを『月夜待』と言うのだろう。その辺に住んでいる友人にそのことを聞いてみたのだが、「知らん」と言う。前の会社の上司もその辺に住んでいるので聞いてみたが、やはり「知らん」と言われた。
 まさか炭鉱繋がりで、「月が出た出た、月が出た」の炭坑節と何か繋がりがあるのだろうか。そうだとしたら嫌だな。この地名の持つムードが壊れてしまう。
 ぼくとしては、「月が綺麗ですね」の月であってほしい。

 ※なお、この詩の『つきよまち』と実際の『月夜待』は、地理上若干の違いがあります。歌詞を優先にしたためです。悪しからず。

 『赤いエプロン』でも書いたのだが、ぼくは25歳の時、嫁さんと正式に交際を始めた。付き合いだして一カ月程たった頃だった。嫁さんは新しくできた支店に、無期限で応援に行くことになったのだ。戻ってきたのは数か月後で、その間ぼくは狂ってました。まだ携帯電話もなかった時代だから、連絡の取りようもないし。いつも総務に行って、「いつ帰ってくるのか?」と尋ねていた。いつも答えは「さあ?」だった。だから帰ってきた時の喜びと言ったらなかった。

『今日も君を想い出にする』

今日一日が情けなくて
ぼくは何気なく君を見る
君はかすかに笑みを浮かべ
小さくうなずいて席を立つ

ぼくはやっぱり君が好きで
二度と離れて暮らすなんて
とても出来ないことなんだと
君をまた今日の想い出にする

 途切れた愛の日々を
 ひとつひとつ想い出しては
 胸の痛くなるような、そんな一日

ぼくがこうして上を向いて
いけるのも君がいるからのこと
君を愛する、だからぼくがいる
今日も君を想い出にする

 → ♫今日も君を想い出にする

 今日の歌は、数カ月後に嫁さんが職場に戻ってきた時に作った歌です。
 嫁さんとはすぐに結婚したわけでない。まあ、その後いろいろあったわけです。しかし赤いエプロンで結ばれた縁というんでしょうか、最終的に落ち着きました。


 東京にいた頃、ぼくは年寄り夫婦が経営する下宿屋の二階に住んでいた。家は木造で作りが悪く、ちょっと強い風が吹くと家は揺れるし、窓からは隙間風が吹き込んでくる。
 そういう家だったから、ギターを弾いて歌を歌えば当然音が外に漏れる。ということで昼間はともかく、夜は気を遣ってなるべく音を出さないようにしていた。
 おかげで夜に曲が浮かんできた時は、困ったものだった。とにかく譜面が書けないから、曲を残そうと思えばラジカセに録音しなければならない。しかも、持っていたラジカセは壊れかけていて、大きな音じゃないと音を拾わない。仕方なくとった手段が、押し入れの中で、布団をかぶって録音することだった。
 ということで、今日紹介する『南の窓』は、押し入れの中で布団をかぶって作った歌です。


『南の窓』

君の開けた南の窓は
今もまだ開いたまま
君の想い出運ぶ風よ
もう一度にぼくに吹きつけろ

汗のこもった小さな部屋は
君がいた頃のままにある
君がくれた小さなオルゴール
ネジの切れたまま春を待つ

何も出来ない君がいないと
冬の寒さに凍えながら
春を待てば気も遠くなる
ああ吹く風よ、もう一度だけ

君の落とした小さな影法師
もうぼくには見ることが出来ない
君をなくして風をなくして
ただ南の窓に春を待つ

 → ♫南の窓

 そのうちぼくは「ここにいても埒が明かん」と思うようになり、音出しOKの友だちの家を泊り歩くようになった。下宿に週一日か二日しかいなので、大家はぼくの実家に、「いつも家にいないので心配で・・・」などと言って電話していたらしい。
 こう書くと『店子思いのいい大家さん』と思うかもしれないが、そんないい人ではなかった。その辺のことは、また後日。

 五十代に入ってから、歌を作ることがなくなった。というより、ギターを弾くことが少なくなった。理由の一つとして、マンションの騒音問題がある。別にぼくのギターの音が問題になったのではないが、神経質な管理会社が普段の生活音も気をつけてくれと言うようになったので、音に対して気を遣うようになったのだ。
 ということで、今のところ四十代後半に作った歌が、最後の歌扱いになっている。その歌が、今日のタイトルである『木漏れ日』だ。

『木漏れ日』

静かな春の木漏れ日が
小さくぼくたち照らしてた
ありあまる若い情熱で
夢を追いかけてた日々を

人にすがることもなく
自分の力だけ信じて
ただ心の赴くままに
走り続けてたあの頃

 時間が限りなく思えて
 いつも何かを探しさまよった
 世間の声に背を向けながら
 自分だけの世界を作ろうと

ふられた恋の痛手にも
立ち向かう勇気があった
過去を振り返ることもなく
新しい明日を夢見てた

 度重なる失意の中でも
 這い上がろうとする自分がいた
 闇の中でもがきながらも
 自分は正しいと信じて

静かな春の木漏れ日が
小さくぼくたち照らしてた
ありあまる若い情熱で
夢を追いかけてた日々を

静かな春の木漏れ日が
小さくぼくたち照らしてた
胸に秘めた大きな夢を
追いかけてた青春の日々
 追いかけてた青春の日々…

 → ♫木漏れ日

 大した青春時代を送ったわけではないのに、えらく輝いていたような気がするのはなぜだろう。今の方が情熱があるし、今の方が大きな夢を抱いているし、今の方が意地を張り通している。考えてみると、若いから出来たことと言えば、走ることくらいじゃなかったろうか。今は歩くのでさえ疲れる。
 しかし歳をとると、どうしてこういう青春時代を懐かしがる詩に走ってしまうのだろう。この歌を作った後に、途中まで作った歌があったのだが、それも青春懐かしの詩になってしまったので、作るのをやめた。

 高校三年秋に始めた押韻ばかりの意味のない詩に興味がなくなり、何かそれに代わるものはないかと探していた時に見つけたのが、中原中也だった。それまでそういう詩人がいたのも知らなかった。ある日、本屋で彼の詩集を読んでショックを受けた。
 最初は中也の詩に曲をつけたりして遊んでいたのだが、そのうちこういう詩を書いてみたいと思うようになり、その思いが『秋の夜』という歌を作った。


『秋の夜』

夜の竿は 星を刺し
さてここいらで泣きましょか
暗い街に 影を刺し
つゆなかけるな 深い雨

濡れた灯り 闇に揺れ
過ぎし光を 追いまする
しだれ柳 風に揺れ
落ち葉ひらひら 終列車

 うっすら三日月 闇に浮かびます
 弱った体が 街に陰ります

 犬の遠吠え 闇に響きます
 疲れた声が 街に狂います

夜の竿は 星を抜け
さてここいらで やみましょう
暗い街に 影を抜け
つゆなかけるな 通り雨

 → ♫秋の夜

 かつて親戚が北九州の折尾駅近くに住んでいた。折尾駅は鹿児島本線と筑豊本線の交差する駅で、その当時はSLが走っていた。それが風情のある街並と相まって詩情を醸し出していた。
 中学の頃、日曜のたびにその親戚の家に行っていたのだが、帰りはいつも遅くなり、最終バスを利用するのが常だった。
 親戚の家からバス停のある駅前までは、川沿いの細い道を歩いて行く。ある雨の降る夜、川沿いにあるしだれ柳が、街灯のはだか電球に照らされ舞っていた。それが雨粒をかけてきた。そんな小さな思い出を詩にした。

 かつて北九州の小倉駅前に『黄昏』という喫茶店があった。ぼくは東京に出る前、小倉でアルバイトをしていたのだが、その帰りにバイト仲間とよくその喫茶店に行っていた。午後5時に終わる仕事だったので、『黄昏』に着く頃は、本当に黄昏れ時で琥珀色の空が街を照らしていた。
 その翌年、ぼくは東京にいた。上京した当初は、新宿とか池袋に行ってブラブラしていたのだが、だんだんその人ごみにも飽きてきた。そんなある日、ぼくは新宿から中央線に乗りかえて中野に行ってみた。着いたのは夕方だった。駅前は琥珀色に染まり、その雰囲気がなぜか小倉駅前に似ていた。それ以来、望郷の念に駆られると、ぼくは中野に行くようになった。

『街の灯』

ほんのひとときの黄昏が
今日のため息をつく
病み疲れたカラスたちが
今日も帰って行く
 昔描いた空は消えはてて
 さて、帰る家はあったんだろうか
琥珀色の時の中で
街の灯は浮かぶ

明るい日差しの中でも
笑わないカラスが
すすけた街の灯を
見つめては笑う
 昔描いた空は消えはてて
 さて、淋しくはないんだろうか
堪えきれない切なさに
街の灯は浮かぶ

 → ♫街の灯

 なお、この『街の灯』のことは、昨年の8月15日の記事に、ローカルネタとして書いている。また、その翌日の記事には、その後の喫茶『黄昏』のことを書いているが、本当に「昔描いた空は消えはてて」しまった。

 77年2月のある日、ぼくは一夜限りのアルバイトで、長距離トラックの助手席に乗っていた。行き先は熊本で、こちらで積み込んだ荷物を下ろす仕事だった。
 元来人見知りのぼくだが、トラックの運転手さんとは妙にウマが合い、車中ずっと話していた。その運転手さんと放しているうちに、気になる言葉が出てきた。それは『レジャーモービル』という初めて聞く言葉だった。すぐさまぼくは、
「レジャーモービルって何ですか?」と聞いた。すると運転手さんは、
「自家用車のことだ」と教えてくれた。
 それがヒントになった。そのレジャーモービルという言葉と、当時流行っていた言葉を組み合わせて歌詞を作り、それに曲を付けた。

『レジャーモービルの女』

夜も越え 薄ら灯り 揺れるまなざし
知った彼の 懐かしい レジャーモービルの女

切れ長な 光る瞳 濡れた道を
振り返り 時を忘れ レジャーモービルの女

 飛び出すな熱い汗よ 風に奪われ消えてしまう
 疲れを知らない 気ままな女

夜は明けた ため息つく 窓は曇って
力込めた か細い腕 レジャーモービルの女

 飛び出すな熱い汗よ 風に奪われ消えてしまう
 疲れを知らない 気ままな女

夜は明けた ため息つく 窓は曇って
力込めた か細い腕 レジャーモービルの女

 → ♫レジャーモービルの女


 ブルースです。こういう曲を作ったのは初めてだったので、すごく興奮したものだ。
 そしてその数年後、ぼくはこの曲をひっさげてヤマハのポプコンに応募することになる。身内の評判がけっこう良かったので期待したのだが、一次審査で落とされてしまう。
 それが悔しくて、さらに二十年後、同じくヤマハのプレイヤーズ王国に投稿する。しかし、前に紹介した『昨日までの生きざま』ほど順位は上がらなかった。
 納得がいかないぼくは、その一年後、再度プレイヤーズ王国に投稿した。だけど、その時はほとんど聴いてもらえなかった。

 十数年前、ヤマハが『プレイヤーズ王国』という、楽曲を投稿するサイトを立ち上げた。プロ・アマ、自作他作問わずとあり、ぼくはさっそく自作曲で参加した。
 最初は当時一番の自信作を投稿し、そこそこの評価を得た。気をよくして、以降十曲ほどアップした。
 一番評価が高かったのは『昨日までの生きざま』という曲で、ジャンル問わずの総合5位まで行った。あまり期待してない曲だったので、この結果は意外だった。

『昨日までの生きざま』

夜は明けて 日は昇り 雲は隠す
鳥は鳴き 風は吹き 今日でお別れ
また街は揺れる いつものように

人は声もかけず 忘れたふり
空は泣き ぼくは泣き 涙は尽き
くたびれた靴が この街の想い出

この道は いつもの道 歩き慣れた
傘もなく びしょぬれの 荷は重く
水たまりを濁す 別れの足跡

夢は消え バスは来て 足は重く
ぼくはただ 窓にもたれ ため息つく
昨日までの甘い 生きざまは終わる

 → ♫昨日までの生きざま

 この曲を書いたのは1977年。この年は人生の中で最悪の年だった。この歌を歌うと、今でもあの苦しかった日々を思い出す。
 ちなみに、この1977年は干支で表すと丁巳年になる。四柱推命によると、この丁巳年はぼくにとってはよくない年なんだとか。ただ文芸や芸術に限っていえば、吉なのだそうだ。総合5位も、そのおかげということか。

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