昌老

人生万事大丈夫!

カテゴリ:詩風録 > リライト

 高校時代のことだった。
 ある日の休み時間に、後ろから何か視線のようなものを感じる。振り返ってみると、そこに当時ぼくが好意を抱いていた人がいて、ジッとぼくを見つめているではないか。
「えっ、あいつ、まさか、おれのこと・・」
 そのことがきっかけで、ぼくの好意は恋心へと変わり、その後何年間も彼女への想いに縛られることになるのだ。

 しかし考えてみると、あの時彼女は、ぼくのことをジッと見つめていたわけではなく、実はぼくの後ろにあった黒板を、ボーッと見ていただけかもしれないのだ。
 なぜなら当時の彼女は、何よりも部活優先で恋愛にはあまり興味がないようだった。その証拠に、何人かの男子から交際を申し込まれたらしいが、部活を理由にすべて断ったと聞いている。そんな部活女が、周りから変人扱いされていたぼくに、想いを寄せるはずがないじゃないか。

 とはいえ、当時のぼくにそんな冷静さはなく、彼女が交際を断った話を聞いた時も、
「あいつ、やはり、おれのこと・・」なんて思っていたものだった。
 結局ぼくと彼女は、同級生以上の仲にはならなかった。つまり異性としての縁がなかったわけだ。
 今さらどうなるも話でもないのだが、今でも時々、あの時の真実を自分の中で追求している。

 人類の長い歴史の中に、今とはまったく違う科学や法則があって、それに則った文明があったのではないか。いや、そう考えるほうが自然だ。
 ピラミッドもそういう文明を基にして建てられたもので、そこに宗教を絡めてみたり、王家の墓にしてみたりするのは、実はその当時の科学や法則が失われ、何のために造られた建物なのかわからなくなってしまったために、一応そういうことにしているのではないのだろうか。

 例えば一万年後、今の文明が滅び次の文明になった時に、古代の遺跡として野球場が発見されたとしよう。もちろんその時代は野球というものはなくなっているだろうから、野球場が何に使われていたのかわからない。そこでその時代の学者がしたり顔で、
「これは当時の宗教施設である」
 とのたまう。するとこれが歴史の1ページになる。

 全国津々浦々にある線路もそうなのではないだろうか。またしても、したり顔の学者が出てきて、
「この二本の鉄すじは城壁の跡である。この二本の鉄すじに囲まれた場所にムラがあり、そこで古代人は生活し、時には食糧を求め近隣のムラとの紛争を繰返してきたのだ」
 とのたまう。これも歴史の1ページになるわけだ。

 いったいピラミッドは、何のために造られた施設だったのだろうか。
 本当は宗教施設やお墓などではなく、生活に即したものではなかったのか。例えば肥えた土地を作るための装置だとか、例えば良質の農作物を作るための装置だとかだ。もしかしたら大がかりな空気清浄機だったのかもしれない。などと、ぼくはしたり顔で考えております。

幼い頃は手塚さんが描くような、都会のにおいがしてくるマンガが好きだった。『おそ松くん』を読んでからは、当時の貧乏のにおいがしてくるような、生活に密着したマンガが好きになり、『ゲゲゲの鬼太郎』を読んでからは、生い茂った草木のにおいがしてくるような田舎の地蔵的なマンガが好きになった。

その後、『あしたのジョー』を読み始めたのだが、それ以来、古い畳のにおいがしてくるような裏町的なマンガも好きになった。『あしたのジョー』と裏町は結びつかないかもしれないが、連載を読み始めたのは、ちょうどジョーがドサ回りをしている時期だった。そこで描写していた旅館の雰囲気が、えらく気に入ったのだ。

貧乏、草木、そして古い畳。それらのにおいが、つげさんを連れてきた。最初は一度読むだけで充分だと思っていた。だが、一度読むとやめられない。何度か読むと抜けられない。そして、そこに住んでしまうのです。

 とりあえず色々な人がそこに入っていく。最初のうちは抜け道なんかもあるので、誰もが気楽にやっているわけですが、そこにはいつでもやり直しが利くという感覚もあり、自分でもなかなか見極めがつかないのです。

 そこで人生は様々な場面で、一つ一つハシゴを外してくるわけです。そこにきてようやく挫折する人なんかが出てくる。しかし、それをやるために生まれてきた人は、自ずと本気を出し始め、そこに人生を見いだすようになる。

 そういう人がその世界で一端の人、さらには一流の人になっていくわけです。まあ、それが天から職を与えられた、選ばれた人ということになるんでしょうね。

 昔、柔道をやっている時に、絞め技で落とされたことがある。仮死状態になったわけだ。
 その時、ぼくが見た風景はピンク色で、遠くで子供たちが遊ぶ声が聞こえた。柔らかい日差しの中にぼくはたたずみ、えらく懐かしく優しい気持ちでその時を過ごしていた。
 それからしばらくして、どこからともなくぼくを呼ぶ声が聞こえた。その声の方向に顔を向けたとたんに、ぼくは現実に戻った。その瞬間、「何でこんなところにいるんだろう」とぼくは思ったのだった。
 今でも、落ちた時のことを思い出すこことがあるが、なぜか優しい気持ちになる。それはあの場所が、生命の原点だからではないのだろうか。

 それとは別に思うことがある。実は、ぼくはあの時点で死んでいて、現実と思って生きてきた道は、ぼくという自我がイメージした架空の履歴ではないのかと。

 小学生の頃、ぼくの周りでは、サイダーといえば三ツ矢サイダーという認識だった。近くにスーパーマーケットなどなく、駄菓子屋がすべてだった時代、その他のサイダーなんて見たこともなかったし、その存在すら知らなかった。
 後年、サイダー分類されていると知ったキリンレモンは、レモンが入っているからという理由で、ぼくたちの間ではサイダー認定をしていなかった。だから今でもキリンレモンはサイダーではないのだ。

 小学四年のある日、ある番組が始まってから、レモンの入ってない、サイダーらしきものがこの世にあるのを知ることになった。もちろん古くからある飲み物なので、他の地方や地区には流通していたかもしれない。だが、ぼくたちの住む世界には、その飲み物は存在しなかった。
 その番組とはアニメ、いや当時はまだアニメとは言わず、テレビ漫画と言っていた。『ゲゲゲの鬼太郎』である。
その不気味な主題歌と前後して流れてきたのが、「リボンちゃん、リボンシトロンよ…」という初めて見聞きするコマーシャルだった。
 ぼくたちの間で、宇宙ものでも怪獣ものでもなかった鬼太郎は、当然のように話題になったが、それと同時に初めて見るリボンシトロンも話題になった。
「リボンシトロンとは何ぞや?」
 ぼくの周りにはその存在を知る者がいなかったので、最初はどんな飲み物かもわからなかった。
 そんなある日、クラスの一人が「リボンシトロンというのはサイダーみたいな飲み物らしい」という情報を仕入れてきた。それでようやく、世の中にはもう一つサイダーがあるのを知ることになったわけだ。

 さて、ぼくが実際にリボンシトロンを見たのは、いや飲んだのは、それからどのくらい経ってからだろうか。確かに飲んだ覚えはある。しかしそれがいつだったのか、どんな味だったのか、一向に思い出せないでいる。

 ぼくの中でリボンシトロンは、それほど存在感のない飲み物となっている。今でもあまりお目にかからないし、飲みもしない。ただ、鬼太郎のまんがを見た時とか、鬼太郎という文字を見た時とかに、その存在を思い出す程度だ。ゲゲゲゲゲ、ゲゲゲゲゲ…。

 二十数年前のある日、職場に昔のギター仲間T君がという人が遊びに来た。
 ずいぶん久しぶりの登場だったのだが、彼は挨拶をすることもなく、突然、
「やる気ありますか?!」
 と言った。
「えっ?」
「やる気ありますか、と聞いているんです」
「何のやる気?」
「もういいです」
 何がもういいのかわからない。それよりも、何で年下のT君から、頭ごなしに「やる気ありますか?」なんて言われなければならないのか。そのことにぼくは腹が立った。
「何が『やる気ありますか?』だ。ちゃんと筋道立ててしゃべらんと、何が何だかさっぱりわからんやろ」
 ぼくの怒り口調に引いた彼は、「すいません」と言って、その話を始めた。

「いい話があったので、勧めようと思って・・」
 そのいい話というのが儲け話で、その方法というのがマルチ商売だった。何でも『あのミスター・イノウエ』という人物までが注目している新手の商売らしく、彼はそのミスター・イノウエという名前が決め手になって、その商売を始めたということだった。
 ある大手のマルチは、かつてのダイエー総帥中内功氏までが注目している商売だと言って洗脳し勧誘していた。著名人の名前を出すのは、その手の商売をする人の常套手段らしい。彼の言う『あのミスター・イノウエ』という人物も、中内氏類の人物のようではある。だが、ぼくはその『あのミスター・イノウエ』という名の人物のことをまったく知らない。
 ということで、ぼくはその『あのミスター・イノウエ』という人物のことを彼に聞いてみた。すると彼は、
「えっ、『あのミスター・イノウエ』を知らないんですか?」
 と急にバカにしたようなような口調になって、勝ち誇ったように『あのミスター・イノウエ』を讃え始めた。

 彼が帰った後、周りの人間にその話をすると、そこにいた人間すべてが、ぼくと同じ疑問を抱いたのだった。
「『あのミスター・イノウエ』という人は何者なんですか?」
「知らんけど、有名な人らしい」
「その商売はどうでもいいけど、『あのミスター・イノウエ』にはぜひ会ってみたいですよね」

 あれから二十年以上経つが、その後そのマルチ商売が成功したという話は聞かない。ということは、その商売に注目していた『あのミスター・イノウエ』氏も失敗したのだろうか。それとも、その商売に注目はしたものの結局参加はしなかったのだろうか。
 T君のことはどうでもいいのだが、ぼくは今『あのミスター・イノウエ』氏のことが心配になっている。

ニ十数年前、当時上司だった人と初めて飲みに行った時の話だ。
タイトルは忘れたが、ぼくがカラオケである歌をうたっていると、急に彼が、
「ぼくの歌を取ったらいかんだろう。それはぼくが先輩からもらった歌だ」
と憤慨して文句を言った。
『ぼくの歌』って、初めて飲みに行った人の十八番なんて、ぼくが知っているはずがない。それにそんなに大切な歌なら、先にうたっておけばいい話で、そうすればぼくも同じ歌なんかうたわない。

その文句で充分白けさせられたのだが、彼はさらにぼくを白けさせてくれた。文句を言ってから十分後、彼はろれつの回らない口で、
「君はこういう歌を知っとるかね。これはぼくが先輩からもらった歌だ」
と言い、先ほどの歌をうたい出した。最初は皮肉でうたっているのかと思ったのだが、その酔い方からして、どうも記憶が飛んでいる様子だった。
ま、それはともかく、とても『ぼくの歌』と呼べるような歌にはなってなかった。それはそれは下手くそだったのだ。
それ以降ぼくは、彼と二人で飲みに行くことはしなかった。

 いつも今日からが楽しいのであって、決して今日までが楽しいのではない。これからのことを考えるとワクワクもするが、これまでのことを考えてもワクワクはしない。
 だからいつまでも過去にこだわらずに、今からのことを考えていくんだ。と、毎日毎日同じことを自分に言い聞かせている。
 だけど、いつまで経ってもこの体の中に住みついている若干老いがかった人が、そこに行き着いてくれようとはしない。過去の住人になったらお終いなんだと、いったいいつになったらわかってくれるんだ。
 とりあえずその人の影響の及ばない所だけでも初期化して、そこに新たなデータを刷り込んで、そこだけに意識を持っていくことにしよう。そうすれば中に住んでいる頑固な人だって、いつかはそこに行き着いてくれるはずだ。日に日に新たにを実践してくれるはずだ。

 小学生の頃、ぼくは窓際の席になることが多かった。夏は日光をもろに受けるし、冬はすきま風が入ってくるし、けっこう苦労したものだ。
 とはいえ、窓際生活も悪いものではなかった。のどかな外の風景が見えるので、退屈な授業でクサクサしている時の気分転換には持ってこいだった。

 ある日のことだった。退屈な授業中、いつものように気分転換していると、窓にハエが止まった。そのハエを追い出そうと、ぼくは息を吹きかけた。ところが運悪くそれが口笛になった。
「誰か、授業中に口笛吹く奴は!?」
 先生の怒号が飛んだ。すかさず「しんた君です」という声が聞こえた。告げ口魔のリエだった。
 先生はツカツカとぼくの横に来て、頭を思いっきりひっぱたいた。
「またお前か、廊下に立ってろ」

 その後も何度かリエから被害を受けた。そのたびにぼくは『復讐してやる』と思ったものだ。だが、その年の暮れ、リエはどこかに転校して行った。
 結局復讐は出来なかった。いや、思いが天に通じたのかもしれないな。ピー♪

 きっと若い頃に読んだ論語の影響だろう。変な気癖がついている。「われ日にわが身を三省す」という言葉が心を責めて、いつも反省を促してくるのだ。
 そのためにひどく心が疲れてしまう。しなければならぬ反省ならともかくも、しなくてもいい反省までしてしまう。反省材料のない時には、わざわざ過去から反省材料を引っ張り出してくるしまつだ。
 どこかで歯止めをかけないと、やっとられんわい。人生の楽しみすら奪われてしまう。

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