昌老

人生万事大丈夫!

2021年10月

『マンションのオートロックシステムは、こげな時に困る』
 この文章は、『ゲゲゲの女房』の第96回にヒントを得た。
 この回は水木しげること村井茂(向井理)が、雄玄社マンガ賞を受賞した時の話だ。島根にいる舅の源兵衛(大杉漣)が受賞の一報を受け、婿のところに特級の一番高い酒を送れと家の者に指示を出すのだが、妻のミヤコ(古手川祐子)から、村井さんは酒が飲めないと言われる。その時に言った
「ああ、そげだった。下戸の婿はこげな時に困る」
 というセリフを拝借した。

 この週で村井家は長い貧乏生活から脱出する。その次の週にプロダクションを旗揚げし、翌週が、『悪魔くん』のテレビ実写化の話。その週の茂と戌井さん(梶原善)とのやりとりは実に感動的だった。そしてその次の週が『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメ化。いよいよ鬼太郎ブームが始まる。という流れだった。


『マンション生活の数少ないデメリットと言えるな』
 この文章は、『結婚できない男』の第3話にヒントを得た。
 桑野信介(阿部寛)の職場に、宅配物(68年版人生ゲーム)が届いた。周囲がどうして配達先を自宅にしないのかと尋ねると、昼間は不在だし、帰ってから不在票が郵便受けに入っていると気分が悪い。それに再配達を頼んだ場合、家で待ってないといけない。その後に言った、
「独身生活の数少ないデメリットと言えるな」
 というセリフを拝借した。

 このドラマは、次の回の第4話がぼくは大好きで、数十回は見ている。前半が夏美先生(夏川結衣)との葛飾柴又でのエピソード、後半が花火大会でのエピソードという二度おいしい回になっている。


 どちらのドラマのセリフも特にウケを狙ったものではなく、ドラマの流れに沿ったさり気ないものだったが、そういうものが残るのだ。昨日記事を書いている時に、セリフが自然に出てきました。

 昨日のこと、トイレ(大)に入っていると、「ピーンポーン」というインターホンの音が聞こえた。あいにく家にいたのはぼく一人だったので、出ることができない。「ピーンポーン」音は三回ほど鳴った後、聞こえなくなった。
 マンションのオートロックシステムは、こげな時に困る。タイミングが悪いと、在宅しているのに不在になってしまうのだ。普通の団地だと玄関まで来てくれるから、トイレのドアを開けて、「いますから、ちょっと待ってください」と、大声で叫べばいい。
 宅配だけに限定すれば、オートロックシステムは、届ける側にとっても受け取る側にとってもいいシステムではない。マンション生活の数少ないデメリットと言えるな。

 さて、後でポストを覗いてみると、郵便局の不在通知票が入っていた。クレジット会社からきているらしかった。そこのカードの有効期限が迫っていたので、おそらく新しいカードが届いたのだろう。商品の配達と違って、こういうものはいつ届くかわからないから困る。読む気にもならない不要なダイレクトメールばかり送らずに、『〇月△日に届きますよ』という必要なメールを送ってもらいたいものだ。

 郵便局にも一言言いたい。ゆうびんIDに登録しているんだから、照合すればメールアドレスや電話番号くらいすぐにわかるのに、なぜそれらを利用しない。メールで配達予定日を連絡したり、電話で在宅確認をすれば不在率はもっと減るはずだ。もし利用しないというのなら、何のためにそれらを登録させたのか。ぼくも事前に連絡さえしてくれてれば、トイレを我慢して待っていたはずだから、二度も来なくてすんだはずだ。


 ※ドラマ『ゲゲゲの女房』と『結婚できない男』から、セリフを拝借いたしました。

 77年2月のある日、ぼくは一夜限りのアルバイトで、長距離トラックの助手席に乗っていた。行き先は熊本で、こちらで積み込んだ荷物を下ろす仕事だった。
 元来人見知りのぼくだが、トラックの運転手さんとは妙にウマが合い、車中ずっと話していた。その運転手さんと放しているうちに、気になる言葉が出てきた。それは『レジャーモービル』という初めて聞く言葉だった。すぐさまぼくは、
「レジャーモービルって何ですか?」と聞いた。すると運転手さんは、
「自家用車のことだ」と教えてくれた。
 それがヒントになった。そのレジャーモービルという言葉と、当時流行っていた言葉を組み合わせて歌詞を作り、それに曲を付けた。

『レジャーモービルの女』

夜も越え 薄ら灯り 揺れるまなざし
知った彼の 懐かしい レジャーモービルの女

切れ長な 光る瞳 濡れた道を
振り返り 時を忘れ レジャーモービルの女

 飛び出すな熱い汗よ 風に奪われ消えてしまう
 疲れを知らない 気ままな女

夜は明けた ため息つく 窓は曇って
力込めた か細い腕 レジャーモービルの女

 飛び出すな熱い汗よ 風に奪われ消えてしまう
 疲れを知らない 気ままな女

夜は明けた ため息つく 窓は曇って
力込めた か細い腕 レジャーモービルの女

 → ♫レジャーモービルの女


 ブルースです。こういう曲を作ったのは初めてだったので、すごく興奮したものだ。
 そしてその数年後、ぼくはこの曲をひっさげてヤマハのポプコンに応募することになる。身内の評判がけっこう良かったので期待したのだが、一次審査で落とされてしまう。
 それが悔しくて、さらに二十年後、同じくヤマハのプレイヤーズ王国に投稿する。しかし、前に紹介した『昨日までの生きざま』ほど順位は上がらなかった。
 納得がいかないぼくは、その一年後、再度プレイヤーズ王国に投稿した。だけど、その時はほとんど聴いてもらえなかった。

1,
 2000年12月に、ぼくは四十代をテーマにした『頑張る40代!』というホームページを起ち上げた。日記はその翌月から始めたのだが、その時掲げたスローガンは、
『いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!』だった。
 書き始めてから2、3日して、ぼくにはあることに気がついた。それは、ぼくには物事を客観視し、またそれをさっさと文章に出来るほどの能力がないということだ。
 このままだとせっかく起ち上げたホームページが終わってしまう。ということでスローガンを変えてみた。
『(内容は何でもかまわないから、)毎日日記を書き続けよう!』だ。
 それから悩むことがなくなり、毎日日記を書けるようになった。

 ブログを初めて何年目だったろうか、ある方から聞かれたことがある。
「このブログのテーマは何だ?」
 そういえばそれまでテーマなど考えたことがなかった。その時ぼくは適当に、
「40代の最後の日まで、頑張って日記を書き続けることだ」
と答えたのだが、その適当な答が気に入った。
 以来ぼくはそれをテーマにした。そして2001年1月から四十代最後の2007年11月までの間、一日も欠かさずに日記を書き続けたのだった。

2,
 ウェブ日記を始めた頃は、仕事中にその日の記事の下書きをしていた。まだスマホがなかった時代だったので、手帳やメモ用紙に文章を書き込んでいた。家に帰ってから、それを直接日記に入力するのだ。
 そこには一つの問題があった。当時のパソコンは今以上に固まることが多く、あと一行のところで固まり、再起動を余儀なくされることが何度もあった。しかも当時ウェブ日記のエディターは自動保存が出来なかったので、再起動後また一から書き込まなければならず、寝るのはいつも午前3時過ぎだった。
 その後、紙copiなど自動保存が出来る便利なソフトが出た。まずそのソフトに書き込んでからコピーし、ブログに貼り付ける。勝手に保存してくれるソフトなので、パソコンが固まっても、再起動しても大丈夫だ。おかげで書き直しするような時間の無駄はなくなった。しかし、夜更かしの習慣は残ってしまったしまった。
 ちなみに現在は、Evernoteを利用している。これはスマホとパソコンで同期できるので便利だ。あの時代にこういうのがあれば寝不足せずにすみ、血圧や頻尿で悩まされることのない六十代でいられたかもしれない。

3,
 以前のブログで一番読まれたのが、延命十句観音経のことを書いた記事だった。
 ぼくは二十代後半に鬱気味になったことがある。それを治すための方法を模索している時に、たまたま本屋で見つけたのが、白隠禅師の書いた『延命十句観音経霊験記』という本だった。その本に書いていることを実践し、そのおかげでぼくは立ち直ることが出来たのだ。
 そういうことを後日談を交えて書いたのがその記事で、これがわりと好評だった。多くの人が、心の問題をテーマにしたものを求めているということがよくわかった。
 それだけ好評なら、十句経のことをもう少し掘り下げて書いてもよかったのだが、とにかく『毎日日記を書き続ける』がテーマのブログだ。ぼくは毎日十句経のことばかり考えているわけではないから、十句経で日々を埋めることなど出来ない。さらには宗教家でも教育者でもないから、その使命もない。ということで、こういう事がありましたという事実を書くだけにとどまったのだ。
 もしその路線で書き続けていたら、大法輪などで取り上げられていたかもしれない。

 ここ数年で一番悔しい思いをしたのは、昨年の4月だった。何が悔しかったかというと、コロナのせいで、見に行く予定にしていたコンサートが中止になったことだ。四十数年来の夢だったので、本当に悔しかった。
 いったい誰のコンサートかというと、伊藤蘭さんのコンサートだ。好きだったんですよ、キャンディーズが。

 ぼくが好きになったアイドルは、後にも先にもキャンディーズだけだ。当時絶頂だった山口百恵やピンクレディーなんて、見向きもしなかった。それ以前の南沙織や天地真理にもまったく興味がなかった。もちろんキャンディーズが解散した後から出てきた、どのアイドルにもだ。

 さて、その伊藤蘭さんのコンサート、一昨年の春に蘭さんがソロで復活というニュースを聞いた時、いつかこちらでコンサートやってくれるだろうと心待ちしていたのだ。それが2021年の春に現実化することになった。さっそくチケットを予約しましたよ。けっこういい席をね。コンサートの日は4月3日で、もちろんその日は休みを取るようにしていた。ところが、コンサートの二週間前に中止が発表されたのだった。

 実は、キャンディーズのコンサートにぼくは一度も行ったことがない。いつか行こうとは思っていたのだが、思いも寄らぬ解散で叶わぬ夢となってしまった。(解散発表後に一度行くチャンスはあったのだが、その時はバイトで行かれなかった)
 その後、再結成の噂はあったものの、田中好子さんの死去があり、「あーあ、もう見られんやん」と諦めていた。それが一昨年の伊藤蘭さんのソロ活動開始で、また夢が復活したわけだ。しかし、その夢もコロナのせいで断ち切られることになった。またもや叶わぬ夢となったわけだ。
 その後、東京で何度かコンサートがあっのだが、コロナで県外に出る気もせず。
 とはいえ、引退コンサートなどではなったから、またこちらに来てやってくれるとは思う。はたして、それはいつになるのだろう。

 ぼくは昨日、キャンディーズの曲を聴きながらいつもの貯水池を歩いていた。デビュー曲『あなたに夢中』からラストシングル『つばさ』まで、自分で組んだプレイリストをかけていたのだが、活動中のラストである『微笑みがえし』を聴いている時、不覚にも涙ぐんでしまった。この調子だと、コンサートに行ったら確実に泣いてしまうだろうな。
 ちなみに、前記事カメラ目線のカマキリくんと出会ったのは、ちょうど涙ぐんでいる時でした。

コイツ、カメラ目線やん。カマキリもカメラを意識するんかなあ?
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 昔の記事を読んでいると、輪廻転生のことを書いている記事があった(→輪廻転生を考える)。20年前の記事だ。
 そこでは輪廻を、未来に生まれ変わるのではなく、もう一度現世をやり直すために生まれ直すのではないかと書いているのだが、20年前ぼくはそんなことを考えていたわけだ。けっこう暇だったんだな。

 それはともかく、もし現世に生まれ直すとしたら、同じことを経験していくわけだが、しっかり今を記憶していれば、何事も失敗しないということになる。例えば、テストで答えを書き間違えたこととか、好きな女性に告白するタイミングを逃したとか、就職で失敗したこととか、すべてやり直せるわけだ。

 昨年の病気だってそうだ。退院後、自分なりにその原因を探っていたのだが、おそらくこれだったのではないかというのわかってきた。それでその原因を作らないように、気を付けてきたのだ。その結果が、一年以内の再発率50%と言われる脳梗塞を防ぐことが出来たのだ。もし昨年、発症する前からそのことをやっていたら、脳梗塞になることもなく、大嫌いな病院通いもクスリを飲むこともしなくてすんでいただろう。

 そういうふうに考えると、死後が楽しみになってくる。でも、やはり死ぬのは嫌だ。楽に生まれ変われないものだろうか?

 今日の再診だが、朝9時40分に病院に着き、MRIの検査待ちが40分、MRI検査が30分、診察待ちが35分(この時間にブログを更新)、診察が5分、その後支払いを済ませ病院を出たのが11時45分、2時間以上も病院にいたことになる。一ヶ月前に予約してこれだから、大きな病院は本当に時間がかかる。

 さて、MRI検査の結果はというと、
「脳梗塞もありませんし、血流も良いようです」だった。
 なるほど検査の写真を見ると、前回あった白い部分(脳梗塞の跡)がなくなっていた。
『ということは、治ったということなのか。これで病院と縁が切れるかも』
 と思っていると、主治医が、
「じゃあ、今度はいつにしましょうか?」
 と、再診の日を訊いてきた。なーんだ、まだ終わりではないのか。
 ということで、次の回からまた、
「おはようございます」
「その後いかがですか?」
「元気ですよ」
「次はいつにしましょうか?」
 という、いつもの再診が始まる。

 ところで、今回はっきりしたことがある。それは、首や腕の痺れのすべてが脳梗塞による後遺症によるものではなかったということだ。
 発症してから退院するまで、いや退院後しばらく、ここまで痺れは強くなかった。痺れが強くなったのは、退院してから一ヶ月半くらい経ってからだ。
 その時ぼくは、『また発症したのか?』と思った。しかし、例の脚の痺れの件があったので、また笑われるのも嫌だと思い、次の再診まで様子を見ることにしたのだった。
 次の再診の時、その日も痺れが強かったので、そのことを主治医に言うと、
「痺れのお薬出しましょうか?」と言う。
「えっ、薬で治るんですか?」と聞くと、
「緩和されると思います」と言う。
 医者が症状についてあまり突っ込んでこないので、もしかして脳梗塞によるものではないのかなとは思ったが、心配は消えなかった。

 その心配のまま今日に至ったわけだが、それがぼくの思い過ごしだということがわかった。
 それでは他の原因は何なのか。いろいろ調べてみると、どうも原因はスマホのようなのだ。そう、スマホ首というヤツだ。毎日毎日朝から晩まで、ぼくはずっとスマホを触っているが、それが痺れを強くしていたということだ。
 現在、ブログの記事はほとんどスマホで書いている。少し書く量を減らそうかなぁ。

 今、病院の待合室にいる。先程MRI検査を受け、結果待ちしているところだ。
 MRIは今回で四度目になる。一度目は脳梗塞が見つかった時、二度目は退院前の再検査の時だ。三度目はウォーキング中に脚がしびれ、怖くなって病院に駆け込んだ時だ。その時は担当医から、
「脳梗塞でそんな所はしびれませんよ。それは坐骨神経痛です」
 と笑われたのだった。
 しかしMRI道路工事のような音は、いつ聞いても嫌だ。

 十数年前、ヤマハが『プレイヤーズ王国』という、楽曲を投稿するサイトを立ち上げた。プロ・アマ、自作他作問わずとあり、ぼくはさっそく自作曲で参加した。
 最初は当時一番の自信作を投稿し、そこそこの評価を得た。気をよくして、以降十曲ほどアップした。
 一番評価が高かったのは『昨日までの生きざま』という曲で、ジャンル問わずの総合5位まで行った。あまり期待してない曲だったので、この結果は意外だった。

『昨日までの生きざま』

夜は明けて 日は昇り 雲は隠す
鳥は鳴き 風は吹き 今日でお別れ
また街は揺れる いつものように

人は声もかけず 忘れたふり
空は泣き ぼくは泣き 涙は尽き
くたびれた靴が この街の想い出

この道は いつもの道 歩き慣れた
傘もなく びしょぬれの 荷は重く
水たまりを濁す 別れの足跡

夢は消え バスは来て 足は重く
ぼくはただ 窓にもたれ ため息つく
昨日までの甘い 生きざまは終わる

 → ♫昨日までの生きざま

 この曲を書いたのは1977年。この年は人生の中で最悪の年だった。この歌を歌うと、今でもあの苦しかった日々を思い出す。
 ちなみに、この1977年は干支で表すと丁巳年になる。四柱推命によると、この丁巳年はぼくにとってはよくない年なんだとか。ただ文芸や芸術に限っていえば、吉なのだそうだ。総合5位も、そのおかげということか。

 最近ぼくの周りでは、ソニーのテレビを買う人が多くいる。
「最近ソニーのテレビに買い替えたんだけど、よかったよ」とか、
「プレステ使ってるから、やっぱりソニーかなと思って」とか、
「うちはブラウン管時代から、ずーっとソニーだから」とか、
 テレビの話が出ると、ソニー、ソニーなのだ。さすが人気メーカーだ。

 そこでぼくは、いったいソニーのどんな機種が売れているのかと、ネットでいろいろ調べてみた。
「えっ?!」
 意外なことがわかった。機種別で一番売れているのはソニーではない。1位はなんとシャープなのだ。さらに3位までをシャープが独占しているではないか。ソニーの名前が出てくるのは4位からだった。

 シャープといえば、かつて吉永小百合さんを使ったCMをやっていたが、最近まったく見なくなった。CMもやってないのに、どうして売れるのだろう。もしかして、マスクの効果なんかな。

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