昌老

人生万事大丈夫!

1,床屋(11:57)
 今日は休み。午前中に床屋さんに行き、先ほど家に帰ってきたところだ。
 前回行ったのは8月のお盆の後だったから、2ヶ月以上床屋に行ってない。昔は毎月行っていたのだが、最近はいつもこのペースだ。きっと歳と共に、髪の毛の成長が遅くなったのだろう。
 帰り際店主から、
「次来るのは来年ですね。良いお年を」
 と言われた。さすがぼくの髪のことをよくご存知である。

2,昼食(12:10)
 体質なんだろうか、ぼくは夕食を減らすより、昼食を減らした方が痩せるのだ。ということで、今日の昼食は、朝パンの残りを食べることにした。一応濃厚な野菜ジュースを飲んでいるので、栄養面は問題ないはずだ。

3,昼食後(13:07)
 さて、これから何をしようか。少し曇ってきたきたけど、この程度の雲なら雨が降ることもないだろう、やっぱり歩きに行くかな。と、いつもの貯水池まで。

4,ご時世(13:40)
 東京で猿が出たというニュースが流れていた。実はこちらでも先々月から猿が出没していて、数人の住民が襲われている。その地域というのが、ぼくが今いる貯水池のある区なのだ。猿が出没した地域から少し離れてはいるが、区は山続きだから危ないと思ったのだろう。用意した張り紙がこれ。
サル
 もちろん注意はするが、もし猿と遭遇した場合、どうしろと言うのか。対処法とか、緊急の場合の連絡先くらいは書いておいてほしい。

 この貯水池、他にもこういう張り紙がある↓
猫にエサを
 前に来たとき、『ここに猫を捨てないでください』という張り紙があった(今日は見当たらなかった)のだが、そんなことをする輩がいるから、上のような張り紙をしなければならない。困ったもんだ。

5,最後の景色(15:05)
 写真を撮りながら歩いたので、いつもより少し時間がかかった。ウォーキング最後の景色がこれ↓
皿倉山
 わが町福岡県八幡のシンボルである皿倉山(左の山)です。山頂から見た夜景がすごくきれいで、新日本三大夜景に選ばれています。

 五十代に入ってから、歌を作ることがなくなった。というより、ギターを弾くことが少なくなった。理由の一つとして、マンションの騒音問題がある。別にぼくのギターの音が問題になったのではないが、神経質な管理会社が普段の生活音も気をつけてくれと言うようになったので、音に対して気を遣うようになったのだ。
 ということで、今のところ四十代後半に作った歌が、最後の歌扱いになっている。その歌が、今日のタイトルである『木漏れ日』だ。

『木漏れ日』

静かな春の木漏れ日が
小さくぼくたち照らしてた
ありあまる若い情熱で
夢を追いかけてた日々を

人にすがることもなく
自分の力だけ信じて
ただ心の赴くままに
走り続けてたあの頃

 時間が限りなく思えて
 いつも何かを探しさまよった
 世間の声に背を向けながら
 自分だけの世界を作ろうと

ふられた恋の痛手にも
立ち向かう勇気があった
過去を振り返ることもなく
新しい明日を夢見てた

 度重なる失意の中でも
 這い上がろうとする自分がいた
 闇の中でもがきながらも
 自分は正しいと信じて

静かな春の木漏れ日が
小さくぼくたち照らしてた
ありあまる若い情熱で
夢を追いかけてた日々を

静かな春の木漏れ日が
小さくぼくたち照らしてた
胸に秘めた大きな夢を
追いかけてた青春の日々
 追いかけてた青春の日々…

 → ♫木漏れ日

 大した青春時代を送ったわけではないのに、えらく輝いていたような気がするのはなぜだろう。今の方が情熱があるし、今の方が大きな夢を抱いているし、今の方が意地を張り通している。考えてみると、若いから出来たことと言えば、走ることくらいじゃなかったろうか。今は歩くのでさえ疲れる。
 しかし歳をとると、どうしてこういう青春時代を懐かしがる詩に走ってしまうのだろう。この歌を作った後に、途中まで作った歌があったのだが、それも青春懐かしの詩になってしまったので、作るのをやめた。

 数日前、通りを歩いている時に、「こんにちは」と声をかけてきた年配夫婦がいた。数年前にお世話になった方だった。ぼくが「こんにちは」と挨拶を返すと、奥さんが、
「先日ね、大変なことがあったんよ」と言った。
「どうしたんですか?」
「主人がね、倒れたんよ。脳梗塞で」
「えっ、ご主人ピンピンしてるじゃないですか。それいつの話ですか?」
「二ヶ月ほど前。部屋に行くといないので、おかしいなと思って探してみたら、ベッドの下に落ちてたんよ。それで救急車を呼んでね」
「それは大変だったですね」
「病院行って、検査して、すぐに手術したんよ」
「手術したんですか?」
「うん。手術は6時間かかったんよ」
 と、奥さんは、横にいたご主人の帽子をとって、手術の跡を見せてくれた。側頭部に20センチほどの縫合痕があった。

「どこの病院に入院してたんですか?」
「S病院」
 ぼくと同じ病院だ。担当医を聞いてみた。
「K先生とN先生」
 そこでぼくは、
「実は自分も昨年、脳梗塞でS病院に入院したんですよ。自分の担当医もN先生です」
 と、自分のことを話した。
「手術はしなかったの?」
「自分は点滴だけでした」
「じゃあ発見が早かったんだ。で、今なんともないの?」
「いや、しびれは残ってますよ。ご主人は?」
「倒れた時は、脚が麻痺してたんだけど、今はなんともないみたい」
 なるほど、ご主人は杖もつかずに歩いている。

「主人の入院中に聞いた話だけど、脳梗塞って再発するらしいね」
「しますよ。自分もそれが怖くて、ずっと摂生してるんですから」
「摂生って、どんな?」
「摂生と言ったって、別に大したことではないんですけどね。水を毎日2リットル飲む。適度な運動をする。薬は欠かさず飲む。入院した時にもらったパンフレットに、そう書いてたんで、それを実行しているんです」
「そうなの?この人、そんなのまったく読まないんだから。あまり水も飲まないし、運動もやらないし。よし、今日からちゃんとやらせよう」

 ご主人はこの会話にほとんど参加してなかったが、手術の話をしている時に一度だけ口を挟んできた。それは怖い話だった。
「手術中だったか、手術後だったか、気がつくと川の前に立っていた。その川の向こうに、亡くなった知り合いが何人かおってね、こっち来いって手招きするんよ。懐かしくなって、そこに行こうかなと思ったんだけど・・・」

 最後に「お互い気をつけましょうね。お大事に」と言い合って別れた。なぜか頭の中で、あまちゃんの挿入歌『潮騒のメモリー』が鳴っていた。
 ”来てよその川乗り越えて 三途の川のマーメイド・・・”
 日々怠ることなく、摂生に努めんといかん。

 高校三年秋に始めた押韻ばかりの意味のない詩に興味がなくなり、何かそれに代わるものはないかと探していた時に見つけたのが、中原中也だった。それまでそういう詩人がいたのも知らなかった。ある日、本屋で彼の詩集を読んでショックを受けた。
 最初は中也の詩に曲をつけたりして遊んでいたのだが、そのうちこういう詩を書いてみたいと思うようになり、その思いが『秋の夜』という歌を作った。


『秋の夜』

夜の竿は 星を刺し
さてここいらで泣きましょか
暗い街に 影を刺し
つゆなかけるな 深い雨

濡れた灯り 闇に揺れ
過ぎし光を 追いまする
しだれ柳 風に揺れ
落ち葉ひらひら 終列車

 うっすら三日月 闇に浮かびます
 弱った体が 街に陰ります

 犬の遠吠え 闇に響きます
 疲れた声が 街に狂います

夜の竿は 星を抜け
さてここいらで やみましょう
暗い街に 影を抜け
つゆなかけるな 通り雨

 → ♫秋の夜

 かつて親戚が北九州の折尾駅近くに住んでいた。折尾駅は鹿児島本線と筑豊本線の交差する駅で、その当時はSLが走っていた。それが風情のある街並と相まって詩情を醸し出していた。
 中学の頃、日曜のたびにその親戚の家に行っていたのだが、帰りはいつも遅くなり、最終バスを利用するのが常だった。
 親戚の家からバス停のある駅前までは、川沿いの細い道を歩いて行く。ある雨の降る夜、川沿いにあるしだれ柳が、街灯のはだか電球に照らされ舞っていた。それが雨粒をかけてきた。そんな小さな思い出を詩にした。

 かつて北九州の小倉駅前に『黄昏』という喫茶店があった。ぼくは東京に出る前、小倉でアルバイトをしていたのだが、その帰りにバイト仲間とよくその喫茶店に行っていた。午後5時に終わる仕事だったので、『黄昏』に着く頃は、本当に黄昏れ時で琥珀色の空が街を照らしていた。
 その翌年、ぼくは東京にいた。上京した当初は、新宿とか池袋に行ってブラブラしていたのだが、だんだんその人ごみにも飽きてきた。そんなある日、ぼくは新宿から中央線に乗りかえて中野に行ってみた。着いたのは夕方だった。駅前は琥珀色に染まり、その雰囲気がなぜか小倉駅前に似ていた。それ以来、望郷の念に駆られると、ぼくは中野に行くようになった。

『街の灯』

ほんのひとときの黄昏が
今日のため息をつく
病み疲れたカラスたちが
今日も帰って行く
 昔描いた空は消えはてて
 さて、帰る家はあったんだろうか
琥珀色の時の中で
街の灯は浮かぶ

明るい日差しの中でも
笑わないカラスが
すすけた街の灯を
見つめては笑う
 昔描いた空は消えはてて
 さて、淋しくはないんだろうか
堪えきれない切なさに
街の灯は浮かぶ

 → ♫街の灯

 なお、この『街の灯』のことは、昨年の8月15日の記事に、ローカルネタとして書いている。また、その翌日の記事には、その後の喫茶『黄昏』のことを書いているが、本当に「昔描いた空は消えはてて」しまった。

『マンションのオートロックシステムは、こげな時に困る』
 この文章は、『ゲゲゲの女房』の第96回にヒントを得た。
 この回は水木しげること村井茂(向井理)が、雄玄社マンガ賞を受賞した時の話だ。島根にいる舅の源兵衛(大杉漣)が受賞の一報を受け、婿のところに特級の一番高い酒を送れと家の者に指示を出すのだが、妻のミヤコ(古手川祐子)から、村井さんは酒が飲めないと言われる。その時に言った
「ああ、そげだった。下戸の婿はこげな時に困る」
 というセリフを拝借した。

 この週で村井家は長い貧乏生活から脱出する。その次の週にプロダクションを旗揚げし、翌週が、『悪魔くん』のテレビ実写化の話。その週の茂と戌井さん(梶原善)とのやりとりは実に感動的だった。そしてその次の週が『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメ化。いよいよ鬼太郎ブームが始まる。という流れだった。


『マンション生活の数少ないデメリットと言えるな』
 この文章は、『結婚できない男』の第3話にヒントを得た。
 桑野信介(阿部寛)の職場に、宅配物(68年版人生ゲーム)が届いた。周囲がどうして配達先を自宅にしないのかと尋ねると、昼間は不在だし、帰ってから不在票が郵便受けに入っていると気分が悪い。それに再配達を頼んだ場合、家で待ってないといけない。その後に言った、
「独身生活の数少ないデメリットと言えるな」
 というセリフを拝借した。

 このドラマは、次の回の第4話がぼくは大好きで、数十回は見ている。前半が夏美先生(夏川結衣)との葛飾柴又でのエピソード、後半が花火大会でのエピソードという二度おいしい回になっている。


 どちらのドラマのセリフも特にウケを狙ったものではなく、ドラマの流れに沿ったさり気ないものだったが、そういうものが残るのだ。昨日記事を書いている時に、セリフが自然に出てきました。

 昨日のこと、トイレ(大)に入っていると、「ピーンポーン」というインターホンの音が聞こえた。あいにく家にいたのはぼく一人だったので、出ることができない。「ピーンポーン」音は三回ほど鳴った後、聞こえなくなった。
 マンションのオートロックシステムは、こげな時に困る。タイミングが悪いと、在宅しているのに不在になってしまうのだ。普通の団地だと玄関まで来てくれるから、トイレのドアを開けて、「いますから、ちょっと待ってください」と、大声で叫べばいい。
 宅配だけに限定すれば、オートロックシステムは、届ける側にとっても受け取る側にとってもいいシステムではない。マンション生活の数少ないデメリットと言えるな。

 さて、後でポストを覗いてみると、郵便局の不在通知票が入っていた。クレジット会社からきているらしかった。そこのカードの有効期限が迫っていたので、おそらく新しいカードが届いたのだろう。商品の配達と違って、こういうものはいつ届くかわからないから困る。読む気にもならない不要なダイレクトメールばかり送らずに、『〇月△日に届きますよ』という必要なメールを送ってもらいたいものだ。

 郵便局にも一言言いたい。ゆうびんIDに登録しているんだから、照合すればメールアドレスや電話番号くらいすぐにわかるのに、なぜそれらを利用しない。メールで配達予定日を連絡したり、電話で在宅確認をすれば不在率はもっと減るはずだ。もし利用しないというのなら、何のためにそれらを登録させたのか。ぼくも事前に連絡さえしてくれてれば、トイレを我慢して待っていたはずだから、二度も来なくてすんだはずだ。


 ※ドラマ『ゲゲゲの女房』と『結婚できない男』から、セリフを拝借いたしました。

 77年2月のある日、ぼくは一夜限りのアルバイトで、長距離トラックの助手席に乗っていた。行き先は熊本で、こちらで積み込んだ荷物を下ろす仕事だった。
 元来人見知りのぼくだが、トラックの運転手さんとは妙にウマが合い、車中ずっと話していた。その運転手さんと放しているうちに、気になる言葉が出てきた。それは『レジャーモービル』という初めて聞く言葉だった。すぐさまぼくは、
「レジャーモービルって何ですか?」と聞いた。すると運転手さんは、
「自家用車のことだ」と教えてくれた。
 それがヒントになった。そのレジャーモービルという言葉と、当時流行っていた言葉を組み合わせて歌詞を作り、それに曲を付けた。

『レジャーモービルの女』

夜も越え 薄ら灯り 揺れるまなざし
知った彼の 懐かしい レジャーモービルの女

切れ長な 光る瞳 濡れた道を
振り返り 時を忘れ レジャーモービルの女

 飛び出すな熱い汗よ 風に奪われ消えてしまう
 疲れを知らない 気ままな女

夜は明けた ため息つく 窓は曇って
力込めた か細い腕 レジャーモービルの女

 飛び出すな熱い汗よ 風に奪われ消えてしまう
 疲れを知らない 気ままな女

夜は明けた ため息つく 窓は曇って
力込めた か細い腕 レジャーモービルの女

 → ♫レジャーモービルの女


 ブルースです。こういう曲を作ったのは初めてだったので、すごく興奮したものだ。
 そしてその数年後、ぼくはこの曲をひっさげてヤマハのポプコンに応募することになる。身内の評判がけっこう良かったので期待したのだが、一次審査で落とされてしまう。
 それが悔しくて、さらに二十年後、同じくヤマハのプレイヤーズ王国に投稿する。しかし、前に紹介した『昨日までの生きざま』ほど順位は上がらなかった。
 納得がいかないぼくは、その一年後、再度プレイヤーズ王国に投稿した。だけど、その時はほとんど聴いてもらえなかった。

1,
 2000年12月に、ぼくは四十代をテーマにした『頑張る40代!』というホームページを起ち上げた。日記はその翌月から始めたのだが、その時掲げたスローガンは、
『いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!』だった。
 書き始めてから2、3日して、ぼくにはあることに気がついた。それは、ぼくには物事を客観視し、またそれをさっさと文章に出来るほどの能力がないということだ。
 このままだとせっかく起ち上げたホームページが終わってしまう。ということでスローガンを変えてみた。
『(内容は何でもかまわないから、)毎日日記を書き続けよう!』だ。
 それから悩むことがなくなり、毎日日記を書けるようになった。

 ブログを初めて何年目だったろうか、ある方から聞かれたことがある。
「このブログのテーマは何だ?」
 そういえばそれまでテーマなど考えたことがなかった。その時ぼくは適当に、
「40代の最後の日まで、頑張って日記を書き続けることだ」
と答えたのだが、その適当な答が気に入った。
 以来ぼくはそれをテーマにした。そして2001年1月から四十代最後の2007年11月までの間、一日も欠かさずに日記を書き続けたのだった。

2,
 ウェブ日記を始めた頃は、仕事中にその日の記事の下書きをしていた。まだスマホがなかった時代だったので、手帳やメモ用紙に文章を書き込んでいた。家に帰ってから、それを直接日記に入力するのだ。
 そこには一つの問題があった。当時のパソコンは今以上に固まることが多く、あと一行のところで固まり、再起動を余儀なくされることが何度もあった。しかも当時ウェブ日記のエディターは自動保存が出来なかったので、再起動後また一から書き込まなければならず、寝るのはいつも午前3時過ぎだった。
 その後、紙copiなど自動保存が出来る便利なソフトが出た。まずそのソフトに書き込んでからコピーし、ブログに貼り付ける。勝手に保存してくれるソフトなので、パソコンが固まっても、再起動しても大丈夫だ。おかげで書き直しするような時間の無駄はなくなった。しかし、夜更かしの習慣は残ってしまったしまった。
 ちなみに現在は、Evernoteを利用している。これはスマホとパソコンで同期できるので便利だ。あの時代にこういうのがあれば寝不足せずにすみ、血圧や頻尿で悩まされることのない六十代でいられたかもしれない。

3,
 以前のブログで一番読まれたのが、延命十句観音経のことを書いた記事だった。
 ぼくは二十代後半に鬱気味になったことがある。それを治すための方法を模索している時に、たまたま本屋で見つけたのが、白隠禅師の書いた『延命十句観音経霊験記』という本だった。その本に書いていることを実践し、そのおかげでぼくは立ち直ることが出来たのだ。
 そういうことを後日談を交えて書いたのがその記事で、これがわりと好評だった。多くの人が、心の問題をテーマにしたものを求めているということがよくわかった。
 それだけ好評なら、十句経のことをもう少し掘り下げて書いてもよかったのだが、とにかく『毎日日記を書き続ける』がテーマのブログだ。ぼくは毎日十句経のことばかり考えているわけではないから、十句経で日々を埋めることなど出来ない。さらには宗教家でも教育者でもないから、その使命もない。ということで、こういう事がありましたという事実を書くだけにとどまったのだ。
 もしその路線で書き続けていたら、大法輪などで取り上げられていたかもしれない。

 ここ数年で一番悔しい思いをしたのは、昨年の4月だった。何が悔しかったかというと、コロナのせいで、見に行く予定にしていたコンサートが中止になったことだ。四十数年来の夢だったので、本当に悔しかった。
 いったい誰のコンサートかというと、伊藤蘭さんのコンサートだ。好きだったんですよ、キャンディーズが。

 ぼくが好きになったアイドルは、後にも先にもキャンディーズだけだ。当時絶頂だった山口百恵やピンクレディーなんて、見向きもしなかった。それ以前の南沙織や天地真理にもまったく興味がなかった。もちろんキャンディーズが解散した後から出てきた、どのアイドルにもだ。

 さて、その伊藤蘭さんのコンサート、一昨年の春に蘭さんがソロで復活というニュースを聞いた時、いつかこちらでコンサートやってくれるだろうと心待ちしていたのだ。それが2021年の春に現実化することになった。さっそくチケットを予約しましたよ。けっこういい席をね。コンサートの日は4月3日で、もちろんその日は休みを取るようにしていた。ところが、コンサートの二週間前に中止が発表されたのだった。

 実は、キャンディーズのコンサートにぼくは一度も行ったことがない。いつか行こうとは思っていたのだが、思いも寄らぬ解散で叶わぬ夢となってしまった。(解散発表後に一度行くチャンスはあったのだが、その時はバイトで行かれなかった)
 その後、再結成の噂はあったものの、田中好子さんの死去があり、「あーあ、もう見られんやん」と諦めていた。それが一昨年の伊藤蘭さんのソロ活動開始で、また夢が復活したわけだ。しかし、その夢もコロナのせいで断ち切られることになった。またもや叶わぬ夢となったわけだ。
 その後、東京で何度かコンサートがあっのだが、コロナで県外に出る気もせず。
 とはいえ、引退コンサートなどではなったから、またこちらに来てやってくれるとは思う。はたして、それはいつになるのだろう。

 ぼくは昨日、キャンディーズの曲を聴きながらいつもの貯水池を歩いていた。デビュー曲『あなたに夢中』からラストシングル『つばさ』まで、自分で組んだプレイリストをかけていたのだが、活動中のラストである『微笑みがえし』を聴いている時、不覚にも涙ぐんでしまった。この調子だと、コンサートに行ったら確実に泣いてしまうだろうな。
 ちなみに、前記事カメラ目線のカマキリくんと出会ったのは、ちょうど涙ぐんでいる時でした。

コイツ、カメラ目線やん。カマキリもカメラを意識するんかなあ?
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