昌老

人生万事大丈夫!

 昨日、『勘違い』という記事を書いていて思った。
「やっぱり好きというひと言を相手に伝えた方が良かったのではないか。そうすれば結果はどうであれ、その先に進めたはずだ」と。
 言わなかったから、いつまでも未練を引きずる結果になったのだ。
 今日紹介する歌を作った時も、そんなことを考えていた。

 夢のいたずら

「君を愛してる」と言いかけた時
いつも同じように終わる君の夢
言い出せなかった大きな悔いが
いつまでも残る
あの若い日は先へと進まない
いつもいつも途切れた映画のように
後味悪い夢のいたずら

朝の目覚めは夢を引きずって
力の入らない一日の始まり
あの頃君はぼくのことを
どう思ってたのか
知りたくなって想い出を訪ねる
いつもいつも過去に縛られていく
もう戻れないことも忘れて

 言い出せなかった大きな悔いが
 いつまでも残る
 あの若い日は先へと進まない
 いつもいつも途切れた映画のように
 後味悪い夢のいたずら

 → ♫夢のいたずら


 当時こんな夢をよく見ていました。あまりに頻繁に見るので、
「やっぱり告白したほうがよかったのかなあ」
 と思ったものです。

 歌詞を書いたのは30代前半。曲の方はポール・マッカートニーの『Magneto and Titanium Man』を若干意識して作りました。
 この録音は40代中頃。演奏はお聴きのとおりギター一本、親指と人差し指の2フィンガーでお手軽に弾いております。お手軽な分、リズムが取りにくかったです。

 高校時代のことだった。
 ある日の休み時間に、後ろから何か視線のようなものを感じる。振り返ってみると、そこに当時ぼくが好意を抱いていた人がいて、ジッとぼくを見つめているではないか。
「えっ、あいつ、まさか、おれのこと・・」
 そのことがきっかけで、ぼくの好意は恋心へと変わり、その後何年間も彼女への想いに縛られることになるのだ。

 しかし考えてみると、あの時彼女は、ぼくのことをジッと見つめていたわけではなく、実はぼくの後ろにあった黒板を、ボーッと見ていただけかもしれないのだ。
 なぜなら当時の彼女は、何よりも部活優先で恋愛にはあまり興味がないようだった。その証拠に、何人かの男子から交際を申し込まれたらしいが、部活を理由にすべて断ったと聞いている。そんな部活女が、周りから変人扱いされていたぼくに、想いを寄せるはずがないじゃないか。

 とはいえ、当時のぼくにそんな冷静さはなく、彼女が交際を断った話を聞いた時も、
「あいつ、やはり、おれのこと・・」なんて思っていたものだった。
 結局ぼくと彼女は、同級生以上の仲にはならなかった。つまり異性としての縁がなかったわけだ。
 今さらどうなるも話でもないのだが、今でも時々、あの時の真実を自分の中で追求している。

 実家に帰って、久しぶりに書棚を開けてみると、そこに昔読んだ本がいろいろと出てきた。最初に目に付いた本が、ハードカバーの『項羽と劉邦(司馬遼太郎著)』だった。現在自宅には文庫版があるのだが、ハードカバー版は久しぶりに見た。
 この本は二十代から三十代にかけて何度も読んだ本で、何度も人に貸した本だ。そのため本は汚れ、ページも所々折れ曲がっている。しかし愛着のある本だ。

「そういえば、前にブログで『項羽と劉邦』のことを書いたことがあったなあ」
 と探してみたら、およそ9年前に書いた記事を見つけた。
劉邦は項羽との戦いで、たったの一勝しかしてない。
だけどこのたったの一勝が、彼を皇帝へと導いた。
勝ち続ける人生は、確かに気持ちいいものかもしれない。
とはいえ負け続けの人生だって、決して悪いものではない。
夢さえ捨てなければ、いつかは劉邦の道を歩めるのかもしれないのだから。

項羽は劉邦との戦いで、たったの一敗しかしてない。
だけどこのたったの一敗が、彼の命取りとなった。
とはいえ彼は人生に、負けたわけではない。
虞美人という永遠の恋人を得て、伴に最期を遂げられたのだから。
恐妻家の劉邦が、晩年幸せだったとはどうしても考えにくい。
一度は項羽を羨んだのではなかろうか。


 この記事を読んで思ったのが、自分の人生は劉邦と項羽のどっちだということだ。
 ぼくはこれまで職を何度か変えているし、収入も人並み以下だった。そういう観点からすると、敗者なのかもしれない。ということは劉邦的だということになる。
 一方、嫁さんは虞美人には遠く及ばないものの、結婚生活は悪くはないとぼくは思っている。その観点からすると、ぼくは勝者なのかもしれない。ということは項羽的だということになる。
 つまり、ぼくは劉邦と項羽の両方とも兼ね備えているということになるのか。まあ、天下を揺るがすような大人物ではないのは確かだが。

 人類の長い歴史の中に、今とはまったく違う科学や法則があって、それに則った文明があったのではないか。いや、そう考えるほうが自然だ。
 ピラミッドもそういう文明を基にして建てられたもので、そこに宗教を絡めてみたり、王家の墓にしてみたりするのは、実はその当時の科学や法則が失われ、何のために造られた建物なのかわからなくなってしまったために、一応そういうことにしているのではないのだろうか。

 例えば一万年後、今の文明が滅び次の文明になった時に、古代の遺跡として野球場が発見されたとしよう。もちろんその時代は野球というものはなくなっているだろうから、野球場が何に使われていたのかわからない。そこでその時代の学者がしたり顔で、
「これは当時の宗教施設である」
 とのたまう。するとこれが歴史の1ページになる。

 全国津々浦々にある線路もそうなのではないだろうか。またしても、したり顔の学者が出てきて、
「この二本の鉄すじは城壁の跡である。この二本の鉄すじに囲まれた場所にムラがあり、そこで古代人は生活し、時には食糧を求め近隣のムラとの紛争を繰返してきたのだ」
 とのたまう。これも歴史の1ページになるわけだ。

 いったいピラミッドは、何のために造られた施設だったのだろうか。
 本当は宗教施設やお墓などではなく、生活に即したものではなかったのか。例えば肥えた土地を作るための装置だとか、例えば良質の農作物を作るための装置だとかだ。もしかしたら大がかりな空気清浄機だったのかもしれない。などと、ぼくはしたり顔で考えております。

既製品のLだと肩幅が足りないので
いつも大きめのLLを買うのですが
やっぱり安価なヤツは駄目でしてね、
一、二度洗っただけで縮むんですよ。
間もなくLより小さくなってしまい
気がつけば嫁さんの物になっている。
だからまた新しいLLを買うのです。


 明日から仕事なので、今日は早く風呂に入った。年初ということで、下着(シャツ)も出来るだけ新しいものを着ようと、一度しか着てないやつを選んだ。
 ところがだ、もう縮んでいたのだ。しかたないので、伸びきった古いシャツを着ることになった。この間はジャージも縮んでしまったし、やっぱりホームセンターあたりで売っている安物はダメなんだなあ。
 ジャージ同様、これも嫁さんのものになるわけだ。

 明けましておめでとうございます。
 昨日は紅白を見終わってから寝たので、今朝の起床が普段より1時間ほど遅くなりました。しかし、寝覚めはよかった。いい一年になりそうです。

 この記事をアップしたら、毎朝やっているスワイショウ(腕振り運動)をして、ラジオ体操をして、嫁さんを起して、食事して、そのあと近くの神社に初詣に行きます。
普段は寂しい地域の神社に
付近の氏子達が集まります。
白く濁った息を吐きながら
手を洗って、口をゆすいで
「あ、ハンカチ忘れてきた」
など言い合いながら、年に
一度だけ出来る列にならぶ。

順番が回って来たら厳かに
一礼お賽銭そして鈴鳴らし
二礼と二拍手をするのです。
「去年もいいことなかった」
と愚痴る人も神様の前では
いちおう真顔になりまして
今年の幸運祈ります。一礼。

 初詣から帰ってきてから、実家に行く予定です。
 元日はこういう予定になっています。先日書いたとおりで、明日からは仕事です。

 ということで、今年もよろしくお願いします。

 2001年、今から20年前に書いた記事です。(若干書き換えています)

「よいお年を」
 社会に出てから、何度この言葉を口にしただろう。それまでは一度も口にしたことのない言葉だった。どうやって覚えたのだろう。別に「年末の挨拶は“よいお年を”と言わなければならん」などと強要された覚えはない。ということは、見よう見まねで覚えた挨拶なのだろう。
 では、それまではいったい年末の挨拶はなんと言っていたのだろうか?今となっては覚えていないが、おそらく普段の別れの挨拶をしていたのだろう。

 そういえば、別れの挨拶も、年をとるにつれて変わっている。
 高校を卒業する頃までは、いつも「バイバイ」だった。
 その後、社会に出るまでは「じゃあね」とか「またね」だった。
 社会に出てからは「お疲れさん」だ。社会に出てから「バイバイ」などと言った覚えはない。
 これらも強要されてこういうふうに言い出したわけではなく、また高校を卒業したから「じゃあね」と言おうとか、社会に出たから「お疲れさん」と言おうとか決めていたわけでもない。それは流れの中で変化してきたものだ。
 ちなみに、友だちに「さようなら」と言ったことはない。そんなこと、馬鹿らしくて言えん。

 さて、社会に出てからは、学生時代からの友だちにも「よいお年を」などと言っているが、これがまた照れ臭い。言う前から「何でこいつに、そんな改まった挨拶をしないといけないのか」と思ってしまう。言っている最中も、ニヤニヤして「ばーか」などと思いながらやっているので、ありがたみも何もないだろう。まあ、相手もそう思いながら言っているんだろうけど。

 ところで、「よいお年を」のあとに続く言葉が何であるかを、真剣に悩んでいた時期がある。もちろん、
「よいお年をお迎え下さい」が正しいのだろうが、その頃はそう続くことに違和感を感じていた。
「よいお年をお過ごし下さい」、今はこの言葉は使わないらしい。
「よいお年をお取り下さい」、年寄りに向かって言っているようだ。
 やはり「よいお年をお迎え下さい」が妥当なのだろうが、先に書いたとおりで言い回しがどうもしっくりこない。
 よく年賀状に書かれている、
「よい年でありますように」や「幸せな一年を」ではいけないのだろうか?いや、これらの言葉を「よいお年を」のように略して言うとすると、「よい年で」や「幸せな」となってしまい、逆におかしくなってしまう。
 と、いろいろ考えたあげく、「よいお年を」だけでいいじゃないかというところにおさまった。後の文章は「余計だ」と思うに至ったわけだ。それから自信を持って(?)、「よいお年を」と言えるようになった。


 ということで皆さん、よいお年を。
 ・・あっ、この言葉、大晦日には使わないらしい。じゃあ大晦日の今日の挨拶は、いったいどう言ったらいいのだろう?
 また来年、そのことを悩まなければならない。

 今年最後の歩きに行った。風が強く少し寒く感じたが、日が射すとけっこう暖かかった。
 歩き始めたのは午前11時43分、貯水池を一周して駐車場まで戻ってきたのは12時45分。6キロ半のコースを1時間で回るというのが当初の目標なので、あと一歩のところまできたわけだ。年明けにはぜひ達成したい。

 さて、歩いている途中に気がついたのだが、例の『サル注意』の貼り紙が、今日はこう変わっていた。
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 最近、八幡の市街地にイノシシが出たのだが、それを受けての警告だろう。区役所もいちいち大変である。

 そうそう、今日は猫や昆虫とは違う住人と遭遇した。
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 いつもは貯水池で泳いでいるのだが、今日は岸辺で毛づくろいをしていた。猫よりもずっと大きい。
 ぼくが猫を呼ぶ時のように、「チ、チ、チ」と舌を鳴らすと、
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 なんとヤツは回れ右をして、こちらに向かって歩いて来るではないか。えらく人慣れしている様子だ。おそらくいつもここを歩いている人たちが、餌をやっているのだろう。『猫にエサを与えるな』という貼り紙があるが、白鳥やカラスのことは、まったく触れてない。きっと彼らはO.K.なんだ。
 猫よりも大きな生き物にまとわりつかれるのも嫌だから、写真を撮り終えると、ぼくはサッサとその場をあとにして、ゴールを急いだ。

 あっ、そうだ。今気づいたのだが、こんな白鳥の写真など撮らなければ、貯水池一周1時間の壁を切れたんだ。いらんことをしてしまった。

 昨日でようやく仕事が終わり、今日と明日が休み。年明けは2日から仕事で、普通の生活にもどる。つまり今日明日は正月休みではなく、ただの連休ということだ。どこかで代休が取れるわけでも無い。社会に出てから41年、こんな生活を繰返している。

 一度だけ元日から仕事ということもあった。その時は、電話当番での出社で、中堅社員で唯一独身だったぼくが選ばれた。
 勤務は午前9時から午後6時までのはずだった。ところが帰る間際にアクシデントが起きた。施錠しようとして帰ろうとした時に、地下水が漏れているという警報が鳴ったのだ。
 ビル管理の方に連絡して、来てもらうことにしたのだが、
「酒が抜けるまで、ちょっと待っててね」という返事。結局来たのは午後9時。それから点検を始め、終わったのは11時を過ぎていた。それから会社を出て、家に帰ったのだが、帰り着いた時は既に元日ではなかった。

 ただ、こういう生活がイヤなのかというと、そうではない。人が働いている時に休みたい、というのがぼくの就活の根底にあったので、自らそうなる仕事を選んだのだ。イヤなわけがない。
 一体何の仕事をやっているのかというと、過去にブログの中で何度も書いているが、販売の仕事だ。店内限定の仕事なのだが、クレーム処理やアフタフォロー、セールスといった外回りの仕事も率先してやっている。基本、動き回ることが大好きなのだ。
 
 前にも書いたが、ぼくは93歳まで生きるそうなので、知力・体力の続く限り、この仕事を続けていきたいと思っている。

 昨日、コストコでガソリンを入れた。以前より少し安くなっていたが、それでも1リットル税込148円だ。

 およそ20年前にぼくが入れていた激安スタンドのガソリン価格は、1リットル80円台だった。今でもぼくの中では、それが基準になっている。安くならんもんかなあ。

 土曜日から月曜日にかけて、こちらでも若干雪が舞っていた。しかし積もるようなことはなく、ただ寒いだけの三日間だった。
 雪といえば、2005年に雪のことを書いている記事があった。

・・・・
会社に着いてみると、ここもあまり雪が積もっていない。
ただ、ぼくが車を駐めるところは、午前中には日が当たらない。
そのせいで、あたり一面真っ白とまではいかないが、若干雪が残っていた。
ぼくはそこを転ばないように注意して歩いていた。
ふと足下を見ると、これである。
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言うまでもなく、鳥の足跡だ。
写真ではわからないと思うが、一つの足跡が2,3センチくらいだったから、きっと小さな野鳥のものだろう。

ぼくは何か貴重なものを見たような気がして嬉しくなり、それをさっそくカメラに納めて、みんなに見せて回った。
みな一様に「あっ、かわいい」と言った。
ところが、一人だけ口ではそう言いながらも、複雑な顔をしていた人がいた。
イトキョンである。
なぜ複雑な顔をしたのか?
ぼくにはわかる。

 記事の前半は、前日雪が断続的に降っていたので、朝は雪のため車で通勤できないと思っていた。ところが、朝目が覚めて外を見てみると、家の前の公園に若干雪が積もってはいたが、車道は濡れてもいない。それで安心して車で通勤した、というようなことを書いている。
 文中のイトキョンというのは、隣の部署にいたパートさんだ。目の大きな人だったので、笑うと目立ったんですね。

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